OOBJ 特別企画 ジョン・ケアード氏×望月龍平 スペシャル対談!

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世界的な演出家として、これまで世界中の演劇界に多大な功績を残してこられたジョン・ケアード氏に日本演劇界の新たなる革命の旗手、望月龍平が迫ります。

日本演劇界の現状が抱える問題とは?日本のエンターテイメント界の未来は?

演劇界に関わるすべての人々、必聴の提言!

 

M:今日は宜しくお願いします。いろいろとお聞きしたいことはあるのですが、最初に日本のエンターテイメント全般について、あるいは日本の俳優たちの演技に対してどんな印象を持っていらっしゃるかお聞かせ願えますか?

J:日本の文化には、本当にいろんなものが混ざりあっています。演劇的な分野に関してもそうです。ですから、日本の演劇や演技のスタイルについて、一般的にこうだ、とお話しすることはなかなか難しいですね。能・歌舞伎のようなものもあれば、商業演劇やミュージカルのジャンルもあり、また新劇のようなお芝居もあります。「これ」という一つの印象を受けたことはありません。

M:なるほど。ではもうすこし掘り下げてお聞きしたいと思います。日本のエンターテイメントについて、ジョンさんがお感じになる課題を教えていただけますか?

J:僕の立場からそれについて申し上げるのもなかなか難しいですね。僕は「外人」ですから。(笑い)僕が日本の演劇界にについて感じたことは、謂わば外からの視線ということになります。ですので、日本で実際に演劇に携わっていらっしゃる方とは少し違う感覚にはなるでしょう。日本の中で成功している作品やカンパニーがたくさんあることは僕にも分かります。ただ、僕はイギリスの演劇界で育ったので、僕の価値観はそこに基づいています。その価値観に照らし合わせてみた時に、日本の舞台を見て心地よくないと感じることは確かにあります。

M:それは具体的にはどんなことですか?

J:一番、強く感じることは、舞台と観客の関係性が異なっているという点です。ヨーロッパでは演劇はものすごく主流な文化として強く根付いています。しかし、日本の場合、観劇に行く人たちというのは非常に限られている。しかも舞台のジャンルごとにそのジャンルを愛好する観客がついている、という状況です。歌舞伎には歌舞伎の観客、ミュージカルにはミュージカルの、宝塚には宝塚の…といったように。そしてその観客同士に重なりがあまりなかったりしている。ミュージカルの世界では、お客さんの90%が女性だというのも気になります。これはバランスとしてすごくおかしいですね。ということは、ミュージカルの世界において気を付けることは「女性の観客を喜ばせるために作らなければならない」、みたいになってくる。そうなると、男性キャストの配役がとても重要になる。極端な話、人気のある男性の役者を使わないと、ミュージカルが成り立たなくなってしまう、といった事態も生じる訳です。こうなると素材と観客とのつながりというものがおかしなことになり問題です。しかも女性の観客は、あまり女性キャストの演技に対して興味を示していない。

M:イギリスの場合では、観客の男女比というのはどのくらいのものなのでしょうか?あまり男女差はないのですか?

J:55:45くらいかもしれないけれど大きな偏りはありません。ブロードウェイでもだいたい同じくらいでしょう。英米では、家族で観劇に行くというのが習慣としてある。しかし日本の場合、その割合が少ない。結婚しているカップル同士というのも少ない気がします。女性同士のグループが目立ちます。この点は一番大きな違いと言えるでしょう。

M:今、日本では家族揃っての食事を一日一回も取らないという家庭が増えているらしいです。そのことも影響しているかもしれませんね。

J:そうですね。日本の社会背景、女性と男性の関係に独特なものがあると思います。勿論、私が初めて日本で仕事をした、20数年前と比べれば大分変わってきたと思いますね。レストランに行くと男女で食事をとっている姿も多く見かけるようになりましたから。昨日、池袋の劇場で芝居を観劇しましたが、芸術的なストレートプレイのような作品には男性の観客が多かったことに気づきました。クラシックコンサートでも男性をよく見かけます。真剣なものとして理解できるものに対しては、男性も観客として参加するようですね。

M:僕は、劇団四季を辞めるときに日本のエンターテイメントが変化するべき時期にきていると思ってやめました。観客も成熟していくべきだと思いますし、何よりも作る側の環境を変えていかなければならないと思います。ご存じだと思いますが、日本では国の支援体制が十分ではないので、興行として成り立たせるためには、人気のある俳優を起用しないといけないという状況がどうしてもあるのです。僕もそこに問題を感じ、それをどうにか変えたいと思っています。OOBJには垣根を越えて、多くの分野から参加してもらっています。このOOBJという集団の新たなファンを増やし、演劇界に新たなマーケットを広げたいと思って取り組んでいます。

J:イギリスの演劇というのは真剣な議論の場でもあります。デイビッド・レーンやトム・ストッパードなどの劇作家たちの作品に触れ、観客たちはその劇作家が何を考えているかを知ろうとしているので。そして、今起きている問題に対してどんなことができるかを真剣に考えるのです。これは、コメディであっても同じです。笑いの要素に包まれていたとしても、必ず芯には観客に訴えるものが存在します。そういう視点に立って、日本の演劇を見てみると、ただ表面や見た目を重視し、深さのない、作品としてとても浅いものがあったりする。俳優たちに、この役を通じて何を観客に伝えたらよいのか、を考える伝統があまり無いように思えます。特に日本人が西洋の演劇をやるときにはそのことがとても問題になります。やりたいという意欲は感じられますし、作品に対して知的な理解をしているのは分かりますが、それを表現する演技者と演出家の力については、その登場人物たちにどんな感情があるのか、どんな思考があるのかを考える力が欠けていると言わざるをえません。役者の役目が「考えることだ」ということが証明されていないのです。ある感情を表したり、美しい見た目を作ることを上手くできる人たちを見かけます。でも、それよりももっと重要なことがあるのです。そこに気付かず、いつも見た目や表面的なことばかりを追っていては、変化が起きません。どんな戯曲をやっても結局は同じような演じ方になってしまうのです。

M:その原因はどこにあると思われますか?

J:作品や役に対する、知的な好奇心を持っていない。そういう習慣がないことではないでしょうか?どうやったらその心理に到達するのか、どうやったら作家の意図したものに迫れるのかをイギリス演劇界の人間たちはいつも考えています。ヨーロッパでは、文学の訓練と同じように演劇の訓練がなされているのです。実は、1880年~90年頃に、ヨーロッパでも同じ問題に直面していました。そこで、ちゃんとした演劇をつくらなければと考えた人たちが現れました。そのおかげで、今でも素晴らしい演劇学校が残っています。ヨーロッパでは、大抵プロになる前に3~4年かけて俳優になるための訓練をしています。スェーデンでは4年間かけて演劇学校で勉強をしますが、その演劇学校に入るためにさらに3~4年間勉強しているぐらいです。それだけきちんと勉強をすれば、卒業した時点ではきちんとした役者が出来上がっています。

M:時代背景として、日本には高度成長期がありました。大量生産・大量消費という意識が演劇の世界にも影響しているのでしょうか?

J:演劇という分野は日本社会の中ではまだマイナーですよね。昔に比べれば、少しずつ主流になってきているとは思いますが、ちゃんとした俳優のためのトレーニングのシステムが確立されているとは言い難い状況です。仕事しながら経験値として学ぶのではなく、ちゃんとした教育の中で俳優を育成していくことが必要です。また一方では、その時代ごとにその時に起きている問題を取り扱っている戯曲を書く人間も現れなければならない。先ほども申し上げたように、作品の中心にあるのは真剣なものでなければなりません。コメディもあっても構いませんが、どの作品にもちゃんとした真剣な主張が込められている必要があります。たとえば今、福島の現状はどうなっていますか?こういう深刻な状況が起きているのであれば、NHKで政治を揶揄しているドラマが作られるべきだと思います。イギリスなら間違いなくそういうことが起きているでしょう。作家たちは演劇の役割について真剣にとりあわなければならないと思います。日本で人気がある作家が何人かいらっしゃるのは知っています。ただ、多忙ゆえにリハーサルまでに台本が出来上がっていないことがあるという噂を聞きます。この状況は、本来ありえないはずです。真剣な作家が真剣な戯曲を書くのだとしたら、小説を書くような取り組み方が必要だと私は思います。村上春樹さんのような小説家の活動は素晴らしいですよね。そうした取り組みが、もっと劇場でも起きるべきです。ビジネスとしては決して儲かるものではないかもしれませんが、上演されて、そして戯曲が出版されて多くの人にその問題提起を広めていくことは、演劇活動を有意義なものにするはずです。

M:さきほどからお話を伺っていると、ジョンさんは演劇活動の色々な局面において、「時間をかけることの重要さ」を特に大切にされているという印象を受けるのですが。

J:私が大切にしているのは、向かい合う姿勢ということになるのでしょうか。どれだけ真剣に向き合うか。ミュージカル作品だってそういうふうに向き合えます。ミュージカルには楽しませる要素だけで、真剣なものは何もない、のような批判がされることがありますがそんなことはない。ただ一方で、日本で成功しているミュージカルでも、英米ではまったく上演されないものもある。それは、あまりにもストーリーが馬鹿げていて荒唐無稽なものだからです。そういう作品の場合、欧米での上演はとても難しい。現実的ではなく、とても表面的でロマンティックなものだけが大事にされている作品の場合、その芯に真剣なものが何も見い出すことができないと欧米では受け止められてしまいます。ロンドンで誕生した「ビリーエリオット」も主人公の少年役の高いパフォーマンスが注目されがちですが、ストーリーの中身はとても真剣で奥深い話です。つまりドラマがあるのです。イギリスではミュージカルを見に行く観客も何か重要なものを求めて出かけてきているのです。

M:OOBJの作品を見に来て下さるお客様は、作品のメッセージをくみ取り、その上で自分の人生を振り返ってみようとする為に劇場にいらしている気がするのですが、たしかに日本の演劇界全体に目を向けると「現実逃避するため」に劇場を訪れている人も多いのかもしれませんね。

J:本当にそうかもしれません。ロマンティックな気分になりたいだけ、現実的な問題は劇場では考えたくないというお客様がいるのも事実でしょう。

M:すごくお聞きしたかった質問があるのですが、ジョンさんが演出家として一番大事にしていらっしゃることとは何でしょうか?

J:私がいつも気にしていることは、ちゃんと俳優と作品と観客の三角形をつなげられているかということです。俳優に対して、この作家が何を言いたいか、何を問題にしているのかを伝えます。そして俳優はその演技を通じて、観客にそのことを伝えていきます。また観客が何を感じているか、何を考えているかを俳優たちも理解しなくてはいけない。この三角形が健全な状態にあるのかどうかを見極めることが、演出家にとって重要だと思います。

M:ワークショップで講義するお姿を拝見して、ジョンさんは演出家であると同時に教育者のようにも見えました。実際にロンドンなどでお仕事をされるときも同じようなスタンスなのでしょうか?

J:ワークショップの場合、少し指導や講義という要素が強くなりますから、より教育者のような語り方にはなるかもしれませんね。でもリハーサルにおいても、同じことは起きていると思います。なぜなら、リハーサルをする前に俳優の方たちが完全に理解できているわけではありませんから。演出家として俳優たちのかじ取りをして導かなければなりません。作家がこのキャラクターに何を求めているのかを判らせることが、演出家としてとても大事な仕事です。

M:ジョンさんは、作家の意図、思想を作品に反映することを第一としている演出家でいらっしゃいますよね。では、もし新作を取り扱う時、ジョンさん自身が作家の意図や、思想について納得できないことがあった場合、どういう風にアプローチするのですか?

J:戯曲について何が問題なのかを作家と議論します。たとえ才能がある作家でも、これは間違っているのではないか?と思うことはあります。また、どこで終わらせたらよいのかが分かっていない作家もいます。昨日、観劇したお芝居はジャン・コクトーの作品だったのですが、もし今、ジャン・コクトーが生きていたら、その作品のある登場人物について「最終的にこの人を殺す必要はなかったんじゃないか?」とか言っていたでしょうね。そうすればもっと面白い結末になっていたのではないかなと思いましたから。(笑)

M:リハーサルにおいて、俳優たちとディスカッションすることもあると思うのですが、*もし俳優が自分にないアイディアを持ってきた場合はどうしますか?

J:それがいいアイディアだったら、是非そうしなさいと言います。頭の良い役者もたくさんいます。演出家は「自分が一番賢い訳ではない」と思うことが大事です。良いアイディアがもたらされたならそれを否定することはありません。結果、作品が良くなるのですから。それに関連して気づいたことがあるのですが、日本の俳優さんたちは逆に演出家に対して従順すぎる気もします。役者として、演出家の言うことを受け入れるだけではなく、自分の頭で考え、主張したいことは主張するべきです。日本は、リハーサル期間が短く、その上いざリハーサルをやりはじめると、一日のリハーサル時間が長すぎます。これでは、俳優さんたちが考える時間的な余地がない。日本で仕事をし始めた時、ちゃんと休みを取ることを大切にするように、とまず言いました。リハーサルは週に五日以上はやらないようにしました。俳優は自分で考えることによって役に近づくのです。その過程を大事にさせなければなりません。睡眠の時間ももちろん大事です。

M:なるほど、日本の俳優は従順すぎるのですね。

J:意外かもしれませんが、アメリカの俳優もそうですよ。演出家を尊敬しすぎるのです。ル。イギリスでは俳優たちは演出家を恐れてはいません。演出家もすべて準備しすぎていかないほうが良いです。生の素材、リハーサルをみながらこのアイディアは良いからそのまま活かそうとか、考えていくのです。全てを準備しすぎるとかえって可能性を狭めてしまい、結果うまくいかなくなることもあります。

M:ジョンさんの場合、作品や、時代背景などについて、大変深い知識をお持ちのように思いますが。

J:そうです。そのことは事前にしっかり準備をしていきます美術デザイナーや衣装デザイナーとの打ち合わせもして、全体のイメージなどは構築していきますね。ただ、俳優のステージングなどは、かっちりとは決めずに、リハーサルの状況を見ながら考えていきます。

M:もし、新作を手掛けるとしたら、どのくらいの準備期間を必要とされますか?

J:脚本について言えば、最終稿は半年前には出来上がっていないといけませんね。キャスティングは本が仕上がっていなければその作業に入れませんから。また最終稿が無ければ、よい美術家も選ぶことができなくなります。

M:「当て書き」についてどう思われますか?日本の演劇界では、結構多く見られるのですが。

J:それはちょっと危険なことだなと、私は思います。作家の心の中で「この役者がやったら面白いかもしれない」と思うことがあってもよいかとは思いますが、初めからある俳優のために書かれるということはあまり望ましいことではありません。日本の演劇界において、そのほかにも独特だなと思うことがあります。日本では俳優が独立していないと感じます。自分が何をしたいのかが、自由に選択できていません。代わりに事務所やマネージャーがものすごく影響力を持っています。だから、俳優たちに直接話を持っていくことが簡単にできません。ある企画があって、一緒にやらないかと持ち掛けてみても、「私が決められるわけではないから」という困惑顔をされる場面によく出くわします。マネージャーが台本のセリフの数を数えて、「これはセリフの数が少なくて主役じゃないから引き受けられない」といわれたこともあります。この状況は、はっきり言って問題です。本来俳優自らが決めるべきものを、別の方たちが決めているからです。そういう方たちにとっては経済的な問題に関心の多くが注がれています。その俳優の才能を伸ばそうとか、そういうことへの意識が低いように思えます。映画やテレビの仕事がダメな訳ではない。そこで学ぶべきこともあるでしょう。しかし、映像の仕事が無いから舞台でもやろうかな、みたいな考え方になっては絶対にいけません。俳優の才能を伸ばすためならば、むしろ舞台の仕事をしっかりとこなさせるようにしなければなりません。どんなに実力のある俳優でも、舞台から4~5年離れれば、技術は確実に落ちてしまいます。

M:ジョンさんの求める良い俳優の条件とは何でしょう?

J:いろんな見方があるとは思います。まず、基本的な才能というものは、声の質ですね。見た目よりも声の質です。無理なく客席の奥まで言葉を届ける声質を持っている、ということは大きな才能だと言えるでしょう。でも、私が思うに、俳優にとってもっと大事なことは、「よく考えること。真剣に考えること」です。そして、自分の事務所やマネージャーに対して自分は何をやりたいのかをはっきり言える人であってほしい。言われていることをやっているだけの人ではいけません。あくまでも自分がボスであり、事務所やマネージャーは自分のために動いてもらわなければ。マネージャーたちは自分たちで何かを作り出しているわけではありませんよね。俳優は自分で何かを生み出す人であるべきです。それが俳優としての責任です。「自分が何をしたいか」を考えない俳優はエージェントの陰にかくれてしまうことがあります。オファーをもらった時に、自分でその役について台本を読んで理解することもせず、マネージャーに「どう思う?」と聞いてしまうようなことが見られますが、これではいけません。役について考え、自分で決めるようになってもらいたいのです。

M:「レ・ミゼラブル」は初演から25年もの歳月が経ちました。その間、日本でもずっと上演されてきましたが、日本の演技者たちに変化はありましたでしょうか?

J:もちろん、随所に成長が見られます。いくつかの点は良い意味で伸びています。劇場も増えましたし、常にいろいろな企画が上演されている。真剣な演劇が生まれる土壌はできてきている気がします。でも、アイドルグループやその事務所に吸い込まれていかないように、演劇界がリードしていくという立場をもっと打ち立てていかなければなりません。一時的な、短期的な成功だけに目を向けるのではなく、長い視点で演劇界のことを考えていってほしいと思います。そして表面的な人気によってではなく、本質的に良い俳優をもっと使えるようにならなくては。

M:ジョンさんは、奥様が日本人でいらっしゃいます。日本でのお仕事も多く引き受けられています。日本で何かを手掛けたいという想いがあるように感じるのですが、そうではありませんか?

J:私には、いくつかの演劇的な「家」みたいな場所があります。ロンドンやストラットフォード、ニューヨークもそうですね。またストックホルムでも定期的な仕事をしています。王立劇場には80人の役者さんが在籍していますが、その中の50人位は生涯そこで仕事をするのです。本当に素晴らしいアンサンブルを見せてくれます。一つのところで俳優として成長し、そして歳をとっても役者としての仕事ができる。とても素晴らしい環境だと思います。そのような国や地域のことを知っていますので、日本で働くときにはまた違う労力が必要になります。もっと教えなければなければならないことが日本での仕事の場合は多いのです。日本の演劇界は未成熟の状況にあると言えるでしょう。でも、そうした日本で仕事をすることを私は楽しく思っています。私は、日本での仕事が好きです。それは、あまりにも私の知っている文化と違うので、そのために私自身が学ぶこともとても多いからです。日本の文化は豊かで複雑だと私は思います。そして美しくもある。だから、日本で働くときは、いつものやり方に固執するのではなく、違うやりかたでやってみようと思いながら仕事をしています。そうすることで、僕の仕事自体も良い刺激を受けて変化できると思うのです。

M:これからの日本で、新しい何かをやるとするならばどのようなことをやりたいとお考えでしょうか?あるいは、こういう作り方をしたいなどのアイディアはありますか?

J:一般的にこう、とはなかなか言えないですね。劇場のサイズ、作品の種類、主催者、それぞれの要素によってまったく状況は異なってきますから。特別な観客のいるジャンルであっても、その特別な人たちを喜ばせるように私たちも歩み寄っていかなければならないとも思います。それに予算の問題もありましたね。もちろん、自分の中に「これをやりたい」と考えている芝居のリストはあります。500くらいの戯曲が常に頭の中に上がっています。シェークスピア、モリエール、チェーホフ…そして新作も。企画についての様々な条件を全部踏まえたうえで、それならばこれがいい、という作品を選択していきたいと思っています。

M:なるほど。日本でこれをやりたい、ということではなく、たくさんの選択肢の中から条件に見合うベストの選択をしているということなんですね。

J:最近上演した「ダディ・ロング・レッグズ」は2人のキャストと6人のバンドのみの編成でした。一方で60人のキャストで2500人の観客の前で上演したものもありますし、160人のキャスト、オーケストラ85人、観客3000人というものもありました。どの作品も思い入れがありますし、すべての作品を愛しています。ストックホルムに「三人姉妹」60回目の再演を行っているカンパニーがあります。60回まったく同じ形で上演しているのです。とても有名なプロダクションですが、そういうことは僕にはできないと思います。

M:最後になりますが、龍平カンパニーに期待することを教えていただけますか?

J:私と龍平との間に、「一緒になにかをやろう」という意欲がわいていることがとても喜ばしいことだと思います。何を一緒にやればよいかをこれから考えていくことが必要ですが、お互いのことをよく知っていく中できっと見つかるはずです。たまに演劇やめようかなと思うこともあるのです。ちゃんとした職業ではないように思える時があって。チャリティワーカーたちの仕事などに接すると、「ああ、これこそがちゃんとした仕事だな」なんて思ったりします。でも、演劇以外の他のことを僕は全く得意ではないかもしれないと思い、やはり演劇を続けていくのですね。いつも自分の心にとめていることは、最終的には「ただの演劇じゃないか」ということ。「もっと重要なことは世の中にある」と思うことです。でも一方で、たとえ全世界が壊れてしまってもシェークスピアの戯曲は残るかもしれない、それぐらい人類にとって重要なことなのかもしれない、とも思っています。是非、一緒にそういう演劇文化というものを発展させていきましょう。

M:貴重なお話をたくさん伺うことが出来ました。ありがとうございました。

(2014年㋂都内某所にて収録)